キュレーションするノストラダムス
キュレーターとは美術の世界では、展覧会を企画・構成する人、
学芸員と近しい意味ではあるし、今、日本の学芸員の方達の仕事は、
よりキュレーション重視になりつつあるのかもしれない。
僕が理解している事は、どんな良い作品を集めて展覧会を作っても
その展覧会の意図があやふやだと、何が見せたいのか、何を見て、何を感じたらいいのか
混乱してしまい、
見る人は、ただただ、有名か無名かで作品をみてしまう事になる。
しかし、キュレーションが良いと、作品同士が影響しあい、より明確な意図、
強力なメッセージを発信する展覧会となるだろう。
今現在、美術館が進化しようとしている時、
良いキュレーターが育って、出てくる事が重要なのかもしれない。
本物の「キュレーション」とは?―東京都現代美術館・長谷川祐子(前編)
長谷川祐子さん(東京都現代美術館/チーフ・キュレーター)のインタビュー。
現代美術館には去年だったか、一昨年だったか、レベッカ・ホルンの展示を見に行ったが、
やはり、良かった。作家も良いが、キュレーションも良かった覚えがある。
このインタビューで面白いのは、「予言的」という言葉が出てきた事だ。
アートは今という時代を読み取り、その上で未来を創造するというような事だろうか。
他にも、コラボレーションとか、身体的体験とか、物語性とか、
美術への入り口をどう作るかとか、そんなお話で興味深いのだが、
「予言」みたいなちょっと怪しくてキャッチーな言葉が好きな僕は
その言葉だけで満足した。
予言者たる美術家と民をつなぐ優秀なブレインとキュレーターを考えると、
美術家は裸の王様たるべきなのだろうか。とか思ってしまう。
ネット上などでは、無限に増殖して日々更新される情報を上手く整列させて
わかりやすく再構成する事を広義の意味でキュレーションといったりする。
キュレーターの性格などにもよるが、解りやすい情報が優先して使われる事になるだろう。
今後、信頼されるキュレーターが多数確立されていけば
情報もアート作品も、そのキュレーターに対してのアプローチが重要になってくるのか?
見る側、提供される側には問題ないし、良い事尽くめなのだろうが。