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アートについて悩んだあげく ダメになっていくブログ。

知覚を揺さぶられて


エラッド・ラセリー  Elad Lassry 
1977年生、イスラエル出身、ロサンジェルスで活動している作家、写真家


reference/参考
http://bit.ly/A4FF5J) 

彼は主に映像、そして、写真を使って制作をする。
それは写真や映像という媒体を上手く使った表現だ。
例えば、異なるイメージを二重に一枚の紙に写して
ぶれるような、透けているようなイメージを見せたりする。

彼のテーマであると思われる、知覚や認識という現象を
現代生活のありふれたイメージの表層を使って
それらを複雑に組み合わせるのである。

作品自体に描かれる物は様々だ、ポートレイト、静物、風景などなど
あまりに様々な種類があり、
一見して、どんな仕掛けがあるのかわからない。

しかし、
例えば、赤と緑に区切られた背景の中に緑の服を着た女性に赤いフレームのポートレイト



鮮やかな紫の背景に二匹の猫と紫のフレーム



赤の背景に三匹の魚に赤いフレームの静物


曇天の中に一本の木それに緑のフレームの風景


などなど、一枚一枚の写真をみていくと

すべてに様々な対比というかコントラストが表されているのはわかる。



 





しかし、その横にいきなり
キャビネットが設置してある。確かに赤と緑の対比がある。



それでもなおこの展示の空間には違和感のような物があり
なんとなしに作品からぐっと離れてみていると気付く。


すべての写真の作品、そしてキャビネットまでが
同じ大きさで同じ高さに設置してあるのだ。



そうして、見ていくと、
同じ大きさなのに、暖色か寒色かで印象に差が出たり
キャビネットは奥行きがあるので作品の下に落ちる影が深かったり
テカテカ光る紙に印刷された物やそうでない物、
そして、写真の構図や描かれる対象によって、
同じなのに違うというか、
違うのに同じみたいな。
同じ高さに同じ大きさなので
すごく整列されているのだが、
あまりにも多種多様な対象が描かれていて
同じアーティストなのかと最初は思っていたのを思い出したり、

まさに知覚や認識のあやふやさを刺激させられる。
一つの作品で完成するのではなく
やはり、一つの展示で完成する作品なのだろう。


異なるイメージとイメージを重ねたた時、
その解放しようとされようとする働きは同一化に向っていくとい事なのだろうか

すごく不思議な展示。というような印象だ。
ただ、
作品自体に共通の物語があるわけではないし、
なんていうか、
これは作っていて楽しいのだろうかとか
考えてしまった。
展示自体は最高だったよ。